弁護士保険でまとまるものもまとまらず…

弁護士保険でまとまるものもまとまらず…
■交通事故のせいで人生が狂った老夫婦
こんな人生に誰がした!!

 市内で追突された交通事故の被害者となった夫婦が相手方の自賠の保険会社を相手に保険金の請求をしましたが、これが保険金支払いでは不評のA社でした。
 やはり治癒しないと保険金の仮払いもできないとの一点張りです。

 たかが追突事故なので重傷にならないからと油断していると体の障害部位が脊椎でした。日増しに悪くなり、追突事故から3ヶ月もすると、本人は杖をついて歩くのも自助できないありさまで、追突事故の恐ろしさを目の当たりにしました。

 本人は「私が何か悪いことをしたのでしょうか
 事故でこんな身体になって私は死にたい、お父さんのもとに行きたい」と涙を流していました。
 許せないのは事故を起こした当人と保険会社及び担当者です。
 この病状の悪化を見に来るわけでなく、ただ治癒するまでは支払えないとの一点張り。いつ治癒できる状態と言えるのかかえって悪くなり入院しなければならない状態になっているのに残された家族は最愛の妻の介助に身も心も疲れ、経済的にも保証のない状態に陥っています。事故の為に夫婦とも職場を失って経済的に苦しんでいます。

なのに担当者は知っても知らぬふり。
 本人や本人の会社や保険会社あてに保険金の支払い命令を出しても本人は知らんぷり。
 会社や保険会社はこれはややこしくなると判断してか保険会社の弁護士にあわてて事故の委任をする有様です。
 あげくは「弁護士に任せましたので私どもは関係ありません」いけしゃあしゃあと会社や保険会社の担当者は口をぬぐうばかり。
 あきれた最低の人間どもです。

 被害者は不慮の事故の為に毎日病院通いをし、なお病状は悪化する一方です。事故の責任を加害者本人も会社も保険会社とその担当者も取ろうとしない。あげくのはては弁護士にまかせましたのでなんてこんなことが通るなんて許せない。

 弁護士も弁護士です。
 おそらく今は入院をして容体は悪くなる一方で、本人は毎日涙していると思うとやりきれません。
 こんなことが今現実にこの広島の地で起こっています。
 あなたや家族にもしこのようなことが起きたら、どう対処しますか?

http://uttaeteyaru.jugem.jp/に掲載された内容の紹介です

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脳梗塞患者の妻として

脳梗塞患者の妻として 

1.立場   
    とある脳梗塞患者の妻として
2.テーマ   
    ぴあチアーズとの出会い・繋がり 
     ~その出会いを大切にしたい~
3.主に伝えたいこと   
    ① 脳卒中患者と共に生きる家族
       としての素直な想い・体験談   
    ② 皆さんにもぜひお勧めしたい
       「知って良かった福祉制度・サービス」
       「入っていて良かった民間の各種保険」
4.病歴
平成22年
11月10日  
          
夫、脳梗塞を発症 即日××病院へ緊急入院
              
夫は脳卒中の危険因子を持っていた。
危険因子:
高血圧、肥満(メタボ)、過労、ストレス、喫煙、毎日晩酌、不整脈、短時間睡眠
性格は、仕事熱心、せっかち、頑固、短気、周りの言うことを聞かない(医者処方の高血圧の薬を捨てていた)、自信家、競争心が強い   
11月25日   リハビリの為に、×××病院へ転院   
12月15日   夫は仕事が心配で自分で退院日を決め、早めに×××病院を退院し、在宅生活のスタート(夫職場復帰)
12月25日頃  今まで風邪も引いたことのない人だったのに、夫は大風邪をひき、食欲もなく、薬も飲めなくなる(嚥下障害)

年末に向けて、×××病院で点滴通いの日々を過ごす
平成23年
4月中旬     ×××病院にて、夫、身体障害者手帳の申請について主治医に尋ねる

5 ぴあチアーズとの出会い   

① 医療費とリハビリ継続の関係     
 
×××病院にて、夫、身体障害者手帳の申請について主治医に尋ねる。主治医は「手帳を持っても余りメリットは無いだろう」と言っていました。が、後から分かったことだが、広島市では、身体障害者手帳3級以上を取得すれば(一応所得制限があるが)、大体の人は、医療費がタダになる「重度障害者医療費受給者証」がもらえる。
     

私達夫婦はこのことを知り、6月に本気で身体障害者手帳を申請しようと、この制度に挑んだ。結果、8月にはめでたく身体障害者3級の認定をもらい、所得制限にも引っかからず、重度障害者医療費受給者証がもらえたため、それまで経済的に大きな負担であったリハビリ通院費や毎月の処方代など様々な医療費が公費負担となり、経済的な不安が一つ取り除かれた。「これで安心してリハビリに専念できるね」と夫に言ったものです。
     

脳卒中は、その名の通り、ある日突然起きて、何の準備も覚悟もできず、その発症直後から今までの生活が一変してしまう。 脳卒中の言葉の意味は、「卒然として邪風に中る」、つまり、突然悪い風にあたって倒れるという意味。      
その中で、治療やリハビリ生活が始まるが、それを続けていくためには、経済的な心配・不安があっては、続けようにも続かない人も多いだろう。    
  
この制度は、まだ知らない人にはぜひ知って活用して頂きたい。医者やリハビリスタッフは、「リハビリは大切。続けることが大事。」と言うが、続けていくには、まず経済的不安を取り除かなくては。   

② 介護保険制度・福祉用具の活用      
介護保険制度の中に、「福祉用具購入費の支給」というサービスがある。脳梗塞で左半身麻痺が残った夫は、トイレの失敗や困難が増えた。まず、人間は、どちらかの身体が麻痺すると、トイレの大小にも影響することが分かった。大事な部分の括約筋が緩むので、意思とは関係なく出てしまいやすく、トイレに間に合わないことも多々あり、また不衛生になりがちである。   
   

その悩みを一つ和らげてくれるのに、暖房便座付ウォシュレットトイレへの工事だ。     

我が家は、賃貸マンションなので、大家さんに許しを得て、トイレと風呂を改修した。トイレ、風呂には、本人が使いやすい場所に手すりを付けたのはもちろんのこと、トイレに元々設置してあった洋式便座では低く、立ち上がりが難しく、暖房やウォシュレットのないシンプルなものだったので、補高便座として付け替えてもらった。介護保険では、これらの工事費や購入費も本人の負担は1割で、大変有難い。色々と問題点はあったが、これで本人のトイレ環境は以前より改善された。      
ソファの立ち上がり用に、置き型の手すりもレンタルしていたが、リハビリ効果か?     

本人の移乗が以前よりも楽にできるようになったので、返却した。(後半は子どもの鉄棒状態になっていた。)
  

③ 本人の明るさに救われることも     
 
この例として、ある日リハビリで、「若い女の子に、女の子の方から触ってもらえる」と嬉しそうに話す夫。女性の患者さんなら、若いイケメンのリハビリスタッフだと元気とやる気がアップするかもしれませんね。 身体障害者手帳が3級から2級に上る時、障害の認定が上がるというのは本来、障害が重たいことを示すもので、喜ばしいことではありません。しかし、「”次は1級目指して頑張ります”と主治医に言ったんよ」という言葉を夫から聞いて、「漢字検定じゃあるまいし」と思わず笑ってしまったが、脳梗塞という病気になっても、主治医に対してジョークを言えるくらいの明るさと、頭の健康を残してくれたことに、内面では癒されることもありました。      

縁あって私は夫と巡り会い、健康で可愛い男の子にも恵まれ、今は独身時代に比べて女性として一人の人間として、幸せなときを過ごしていることを感謝しています。(性格上、子どもや夫の世話をするのは好きな方かもしれません。)      
結婚当初、「子どものオムツが要らなくなったと思ったら、今度は主人がオムツなんてことにならないでよ」と、夫によく悪い冗談を言っていました。今は、半分それに近い状態になってはいますが、夫の脳梗塞からの生還とでも言える、歩行器を使って移動していた入院時や発症時から比べ、今を思えばゆっくり少しずつですが、良くなっているようにも思うし、何よりも本人が自分の現状を受け入れてきたかなと思うことも。    
  

発症以前は、かなりヘビースモーカーで、私が子どもを妊娠中でも「身体に悪いから、タバコはやめてよ。」と何度言っても、「タバコで死ぬなら本望じゃ」と言っていたのに、病気をして主治医に「タバコをやめないと死にますよ」と言われ、ピタッとやめました。というか、脳梗塞を発症してから入院中は吸う気にもなれないのか、自然に禁煙状態となっていました。今思うと、入院中の2週目頃、禁断症状からなのか、「わしをゴミのように捨てるのか?」など、毎日子どもを負ぶって見舞いや世話に通う私に、投げてきたあの時のヒドイ言葉や青ざめていた表情は忘れられません。「こんなに、毎日一生懸命やっているのに、どうしてそんなひどいことを言うの?」と病室で声を荒げてしまったこともありました。   

④ 出会い    
  
夫が脳梗塞を発症してからは、退院し家に帰ってからも、夫は毎晩、身体が痛くて眠りが浅いこともあり、自宅で夜中に起きては脳梗塞に関する本やリハビリの本などを読んでいました。しかも、「この気持ちは本人しか分からん」などベッドに腰掛けて、固くなった足を見つめながらよくぼやいていたので、「きっと孤独感でいっぱいなのかなぁ。」、「同じような病気を持ちながらも生活している人と知り会えたら、少しはいいことがあるかも」と思っていた頃、中国新聞のある一面のほんの小さな記事が目に止まりました。
    

 
「脳卒中の会・・・広島で近日、会合が開かれる」しかも参加無料!      
すぐに記事を切り抜き、夫に見せました。「あなたこれ、行ってみたら?」と。    
 
その時、主人は、まだ少し迷っていたみたいでしたが、「あんたが車で連れてってくれるなら行く」と言うので、私は運転手、付添い人として参加することに。      
それが、ぴあチアーズに私達夫婦が初めて参加したきっかけです。      

初めて参加したときの印象は、広い会場に80名位の人々がいて、杖をつきながらゆっくり歩く人、車椅子の人、一見元気そうでも話をしてみるとしびれなどの後遺症で悩まされている人等々、たくさんの老若男女の脳卒中患者とその家族やスタッフがおられました。

その集団の中に初めて入り、雑談タイムの自己紹介のときにふと涙が溢れました。「なんだろう。この涙は?自分でも分からない、分からないけど、ああそうか!」      
「私も辛かったんだ」。夫が脳梗塞にある日突然なって、生活が激変していたのです。あれから、夫も必死にリハビリ生活を送ったんだろうけど、妻である私も私なりに必死で無我夢中に日々を過ごしてきた。夫を支えるべく。  
    

入院してすぐのことで、泣くに泣けぬ多忙な日々を過ごし、入院生活に慣れてきた矢先、「リハビリ病院へ転院が必要です」と言われ、次の選択をしなければいけない。
     
夫が自営している事務所を潰してはいけない。当時の職員に一日の仕事の日報を確認し、所長の夫へ伝える日々。事務所の戸締りをしてから子どもをママ友へ預け、夜も病院の見舞いに通う。息子は、いつもと違うことを分かってか、深夜に突然「父さ~ん、父さ~ん」と泣き出して、こちらも泣き出しそうでした。張りつめていたのか、泣けなかった。      

モニター音などが響く救命センターの異様な空気、環境に押し潰されそうになる。夫は、4日目にして、一般病棟へ移った。少し夫も落ち着いていた。おにぎりが食べられた。     

利き手だった左側が麻痺して自助具のスプーンを持って、食事もリハビリ。ナースさんに紙オムツを買ってくるよう言われ、用意。夫が”遂に紙オムツか・・・”とリアルな現実が否応なく目の前に突き出される。ポータブルへの練習、私も介助の仕方をナースさんに習う。      
夫が入院している間も、顧客からの電話や社員への給料の振込み等対応・処理しなければならないことが沢山あった。夫が入院前に決めていた、自宅ともう一つの経営部所の引越し作業もあった。実家の母にも子どもの世話を助けに来てもらった。      
いろんな人を巻き込みながら、周囲の支えや協力があって乗り越えられた。必死に乗り切った当時をようやく我ながら振り返ったのでした。      
「そうだ!私は育児と夫の世話とを日々こなすのに精一杯で、あの時の自分を振り返る一時も持ってなかったんだ。」ということにも気付きました。      
そして、ぴあチアーズで初めて出会って名前を名乗りあったご夫婦がまた素敵な方でした。そのご夫婦にこの会で出会う度、話を交わさなくても何か温かい気持ちになれる。今日もまた、この場所で元気に会えました。それだけで、何か嬉しい気持ちになれます。      

皆さん、ぴあチアーズに、寒い日も暑い日もはるばるやって来るのには、「どんな思いで来られているのだろう?」と、いつも帰りの道中、そんなことを思いながら、夫と語り合いながら、帰路に着く。    

  
「そこに行けば、仲間がいる。仲間から、実体験から得た様々なことを聞ける。そして、自分も語る。それだけでも十分癒される。」、これがピアカウンセリング(共に癒し合う)。そして、またそれぞれの家庭、職場、日常へと戻る。 「また、次の会にも行こう、行きたい、そこには何かがある。仲間と会える」それが私の、ぴあチアーズ。

最後になりましたが、これからも、この会のますますの繁栄と会員皆様のそれぞれの幸せと健康を願いつつ私からの発表は終わりと致します。 ご清聴、ありがとうございました。

6.後記      
最後に・・・     
今日、この場で皆様の前で若輩者の私がお話しをさせて頂くことになり当初は、私と夫の脳梗塞体験談から学んだことを、どうお話したらいいか纏まらぬまま日々が過ぎてゆきました。が、今日このような発表の場を設けて頂き、改めて記述化し、整理をすることができ、今日が私にとっても大切な節目となりました。

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ある障がい者の苦悩

ある障がい者の苦悩-

■脳梗塞で倒れてから、その後 

          
 私は、平成22年11月10日 午後3時半頃、妻が仕事場にホームドクターを呼び、救急車で運ばれ、脳梗塞で××病院に即日入院、わずか2週間の入院を経て、リハビリ病院である×××病院に転院しました。

 12月15日に退院して、現在自宅療養中です。その後、×××病院に週2度位の通院により、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の3名の先生に施術して現在もリハビリに励んでいます。
 

 又週1回の訪問看護による在宅リハビリ療養や現在2か所の運動器具を取り入れた居宅ディサービスに、又、入浴や人との会話をする為に居宅ディサービスに週各1回行っています。  
 

 現在、私は身体障害者手帳2級を所持しています。あの日、私は自らの健康管理をきちんとしていなく、タバコを毎日1箱、酒も結構毎日飲んでいました。仕事も経理というストレスがたまりやすい仕事をしていましたので、脳梗塞になりました。なってからは、自分の身体が思う通りにならず、毎日毎日失望と苦痛の日々でした。

 「この身体、元に戻らないのだろうか」「これからどう生きていけばいいのだろう」と毎日、自分を責めました。この2年余りの時間が精神的、肉体的にも苦しく辛い時で、今も続いています。  

 
 ここで私の体験談として話をしていきます。  

(1) リハビリについて    

 早くから身体を動かしたつもりですが、自分の身体は自分で治療するしかないと思いました。数多くのリハビリや脳疾患に関する本を読んだり、人の話を聞いたりしましたが、ただただ悩むだけです。自分に合った方法、やりやすい方法をコツコツやるしかないのです。  
  
 現在、運動器具を利用して、そしてノルディックウォーキングを利用した歩行練習を居宅ディサービスや自宅にて、一人で取り組んでいます。    
  ともかく歩くことです。寝たきりにならないことです。始めは夜トイレの時は、し尿ビンを身近に置いてしていましたが、漏れてもいいから起きて歩いて近くのトイレまで行くようにしました。始めは身体がふらついて思うようにいきませんでしたが、だんだん慣れて一人で行けるようになりました。
※ ノルディックウォーキングとは、2本のポール(ストック)を使って、歩行運動を補助し、運動効果をより増強するフィットネスエクササイズの一種   

(2) 朝の歩行について     

 今、毎日朝5時頃に起きて6時~7時頃、外に出ます。隣に私の自営している事務所があります。近いのですが、2階にあり、外の階段を歩いて昇らないといけないので、雨の日も雪の日も歩いていくことは大変なことです。でも歩かないといけないから歯を食いしばって足を進めていきました。     
 早朝のひと時は、身体が悪い人が人目を避けてよく歩いており、時に声を掛けて知り合いになったりします。お互い病気があると歩く姿で分かるのです。「やあ、お互いゾンビですね」と悪い冗談を言われて、まぁ「それもそうだな」と思い込んで納得します。   
  
 しかし、情報交換はしますが、なかなか打ち解けません。やはり病気のせいでしょうか。   

(3) 病気の治り具合について    
 

 12月15日の寒い時に退院しました。その時、初めての試練が私を待ち受けていました。それは風邪をひいたことでした。風邪をひくと肺炎になる危険があったのです。風邪を馬鹿にしていたら、どんどん酷くなり、薬が飲み込めないのです。障害になり薬が飲めないとなると話になりません。すぐ、病院に行って点滴を3~4日やったり、とろみのジュースを買ってきて飲んだりしましたが、それは大変な毎日でした。死ぬかと思いました。薬を飲み込む力がないと肺炎になり、いずれ身体が弱っていきます。このことが私を風邪に対して、慎重になるようになりました。風邪をひいたと思ったら、何日も風呂に入らず養生をしました。     

 又、足は放っておくと筋肉が衰え、小さくなるのです。足が衰えていくことが自分で分かり、通販の歩行器を買って折にふれて練習していますが、毎日歩くことが一番だと思いました。バカにできないことです。     
 又、人と話をすることです。うっかりすると人と話ができなくなり、ろれつが回らなくなるのです。それを防ぐ為にも発生練習をし、一人でしゃべり、人を捕まえては会話をします。     

 人を恐れてはだめです。つい自分の姿を人に知られるのが怖くて、億劫になるのですが、勇気をもってしゃべることが大事です。     
  それと字を書かないといけないのですが、字を書かないと忘れてしまいます。そして、字が汚く粗末になります。ぐにゃぐにゃと何を書いたのか、自分でもましてや他人にも分からなくなります。小学生の頃を思い出してしっかりと字を書くのです。忘れない為にも書くのです。     
 そして、本を読むことに努めてまいりました。自分の人生は後数年と分かるようになりました。無限の年数はないのです。そしたら、まだ自分はやり残しているのではないかと思うようになり、人生を急いで過ごすようになりました。     
  本も今まで以上、毎日一冊を読破するように努めています。仕事も同じです。未完成のものを完成させるためにも毎日毎日が大事な時間になります。  

 
(4) 食事について     

 病後、医者から「タバコをやめないと命がなくなるよ。あなたはそれでもいいけど残された家族はどうなるの?」と言われ、その言葉が胸にぐさっと突き刺さり、タバコをやめました。もう2年になります。もともと血圧が高く、痩せなさいよと言われてます。でも、なかなか痩せません。ダイエット療法が自分に合ったのが見つからないのです。ある日「1食で貴方は痩せられる」という本を手にし、今一日夕食のみの食事療法を実施しています。  
 

(5) ケア・マネージャーについて  
   

 病気になってからケア・マネージャーとの付き合いが始まりました。退院してすぐトイレの便座をケア・マネージャーからの紹介で業者に取り付け工事をしました。以後、色々な業者を紹介されましたが、ろくなのはいません。トイレの便座の業者は取り付ける時、足の位置が高く、ブランブランになり安定せず、便座に隙が出来て、水漏れがするのです。妻が着工前に「本人を座らさなくて大丈夫ですか?」と言ったのに、このざまです。苦情を言うと、後から責任者が来て、位置を直したり水漏れを直したりしましたが、直りません。挙句の果ては、もっときちんとしたものを交換しましょう。その時、業者の人からは、「福祉用具の購入費の支給は1年毎に更新となるから」と聞いたが、後日役所へ確認すると「介護度が3ランク上がるか又は引越をするなどの特別な事情がない限り認められない」と言われた。業者による設置ミスでも。それって又買い替えるのですか?そんな馬鹿な。始めにきちんとやっておけばこんなことにならなかったのに。立ち会う方の時間も労力も無駄です。     

 このように介護にまつわる福祉用具の関連の業者には、相手が介護や障害があるからと思い適当にされ、一般では考えられない商売をしています。名のある指定業者でもしかりですから、油断はできません。ケア・マネージャーはそんなことは知りません。連携と言えば聞こえはいいけど、紹介しても手数料が入るわけではなく、利用者のアフターケアがないのです。ケア・マネージャーは利用者が選択できると言われていますが、現実には個人情報の保護もあるので、なかなか変更できません。ケア・マネージャーは受け持つ人数が多く、50人位担当していれば月1回の面接さえもできない状況です。そんな人ばかりではないとは思いますが、いろいろな意味で質・モラルの向上を願います。利用者からみれば、安心して任せられる人間性のあるケア・マネージャーが資格の条件です。
   

 私は今の自分の姿をみて、幸せなのか不幸なのか分からなくなっています。ただ言えることは、過去には戻れず、又未来はなく、ひたすら現在を自分なりに生きていくだけです。そして、この生きる姿を回りの人たちが自分の事を後でいいから分かってくれたらと思います。  

 最後に病気の日から現在まで、他人に言えない苦労をして、そばで私を支えてくれた 最愛の妻と子供に対して、感謝をし、心からお礼を言いたいと思います。
「ありがとう」

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認知症になっている女性の一人暮らし

認知症になっている女性の一人暮らし
■周りは、分からないことをいいことに好き放題!!

 ある一人の女性を紹介された。その人は一人暮らしの女性80歳。それだけでは別にどうってことないのだけど。会ってよくよく話を聞いてみると、彼女は3階建の貸ビルのオーナー。2階と3階を別々の人に各階3LDKを家賃月65000円で貸しているらしい。

それが、最近各賃借人から家賃の振込がなく、取り立てに行っても取り合ってもらえずにナシのつぶてであるとのこと。

「どのくらい家賃が 入っていないのですか?」「そうねぇ、3階の人はかれこれ2年、2階の人は1年くらいはいってないかねぇ」「え、それって退去命令でも出して出て行っても らって当たり前じゃないですか」、出て行ってくれって言っても出てくれない、挙句の果ては「このくそババア、何を言いやがるやかましいとの一点張り。ほと ほとどうしたらいいものやろ、困り果てていますよ。」

それはそうだろう。「だけど家賃の未払いがあってもよく生活できますね」「こう見えても私は現役の頃は公務員だったんですよ」「子供ができなくて主人と二人暮らしでね。十数年前に主人が他界、いまでは私も役所をやめて一人暮らしの身ですね。

でも、おかげさまで、年金が月30万位入りますので生活には困らないのですよ」「すごいですね。月30万なんて昔の人は年金も多かったんですね」「私の財 布の中にはいつも万札が数10枚入っていますよ。ほら見てくださいよ」(別に見せてくださいと言っていないのに、自慢そうに私に見せるのです。)

それはそうとあたりを 見回して、「食事は自炊ですか?」と聞くと、「もう何年も前から料理なんてやってません。殆ど外食か出前。寿司などを頼んでいます。たまに近所のコンビニ に出かけて好きなものを買って帰りますよ」と言い、思い出したように冷蔵庫の中から「これを飲みなさいよ」と言って出されたジュース。賞味期限をみると 一ヶ月前に切れたものを。取りあえずお礼を言いながら口に付けずにおいていたのです。

部屋の中にはある防犯用のコールセンターに繋がれている非常電話を見せてもらいました。何か部屋で異常があるとこれを押したらいいそうです。又週3回、介護のヘルパーさんが3時間来られて身の回りの世話をするからと言っていました。

あれこれ聞いて大分分かってきたことで、退散。必要な資料(振込のもとになる通帳や契約書、介護事業所のファイルなどを了解を得て)を預かりました。そして、家賃の未払いの回収とそれに伴う手続きをするための委任状をもらいました。

さあ、おいとまをしてからが大変。家賃の未収の計算をして、3階が約200万、2階が約80万くらいありましたので、両方の住人宛に内容証明で家賃の支 払い命令を出しました。このことは、親族にも念のために了解を得ました。内容証明を出して3日くらいして、滞納している本人から私の事務所宛に電話があり ました。

「書類を見たが、こち らの言い分も聞かずにどういう了見だ。ちゃんと調べてものを言ってるのか、どこの行政書士だ」と初めから相手は興奮して喧嘩口調です。「銀行に行って通帳 の入居開始からの振込履歴を調べましたので、数字は分かっています。現金で払っていると言われるのなら領収書をお見せ下さい。説明しますからお会いしま しょうよ」「やかましい、一方的にごたごた言いやがってこちらは迷惑しとるんだ」と、かなりヒートアップ気味。

こんなやりとりが続いて、さすがの私も堪忍袋の緒が切れて、「長期の家賃の未払いは一目瞭然、ガタガタ言わずに払えや、さもないと出て行ってもらうぞ」と言い返しました。  しばらくして、相手も疲れたのか「ともかくもう一回調べてくれ、それからだ。わしも口が悪いが、あんたも口が悪い、本当に行政書士か?」と言われて電話を切られました。

それからもう一度依頼 者のもとに行って報告をし、相手が近くで商売をしていることや夜の帰りが遅いこと、3階の雨漏りがあって補修したこと、初めは何度か現金を持ってきたこと があることなどを教えてくれました。  ともかく再計算し、譲歩しても100万近くありました。もう一度内容証明です。私も不動産会社の社長をしていますので、そちらの応援もしてもらい、取り 立てに入り、店まで取り立てに職員3人くらい行かせました。

そうしたらちょうど本人が店におり、口論となり、相手がパトカーを呼びました。それでまた、警官を交えて話し合い、延々3時間にわたる取り立て交渉をしました。そしてその日は一旦切り上げて解散・・・

そんなことがあったある日、相手は引っ越ししてしまいました。もぬけのから。家賃の滞納はそのまま・・・でも、家主さんはやっかいものが自ら出て行った ので大喜びです。さっそく部屋のリフォームをして入居者探しとなりました。結局頼まれてから2ヵ月で解決しました。だだ、滞納分の家賃を払わずに出て行っ たということになりました。追いかけても金がありそうもなく、家賃の滞納をそのままにしていた方もわるいのでなんとも言えませんが。

あと、2階の住人もいます。又、内容証明を出し、取り立てを始めました。2階まで行って会い、折衝を始めました。「払えないなら出て行ってくださいよ」と詰め寄り、本人が行くとこがないということで、身内か誰かから借りて滞納分を一括払ってもらいました。

それからも滞納がないかを預金のチェックです。本人は、家主にケツかいて、ねこなで声で、機嫌を取ります。それでいてうちの者にはもう顔も見たくないと言っています。まぁ、仕方ありませんよね。

それから、しばらくは 平和な日が続きました。だが、依頼者の認知症が進行し、言葉もおかしくなり、言動もさだかではありません。ここがうちの業務の限界とみて、委任を解任して もらいました。あとは成年被後見人に任せるだけです。ここまでに六ヶ月くらいかかりました。いろいろなことを教えてもらい、顔が見られなくなることで、一 抹の寂しさが残ります。

結局、本人は入院し、 住んでいたところはそのままですが、私にはそれ以上どうしようもありません。 また、この件には、別の大きな問題がありました。それは予期せぬことでした。私や職員が出入りしたことにより、ヘルパーが私どもを警戒するような目つきを するのです。初めはこちらも気にしていなかったのですが、ヘルパーに事の次第を本人が言うのならまだしも、こちらから言わなくても良いと思っていました。

ある日、依頼者の口か ら「ヘルパーさんにはお世話になっているから帰るときにはお金を渡しているのよ」と言われました。それって法的には金銭の授受は禁止されているはずです。 私も訪問介護ステーションを立ち上げてマネージャーになりましたので、そこらへんは知っています。

それで私たちを邪魔者扱いにするのだなぁと気付きました。密かに証拠を集め、その事実を地域包括支援センターに相談しました。

それである日、セン ターで協議をすることになり、私や私たち事務所の者と包括センターの人たち、当日分かったことですが、市の職員が2名、肝心の介護ステーションの責任者や ケアマネやヘルパーは来ていませんが、残りの者で協議することになりました。当事者がいないので、問責になりません。

市の相談者や包括セン ターの責任者には内情を言い、相手方の責任を追及すべきだとこちらは言い、挙句の果てには言い合いになりました。ろくに本人との面談もせずに、事実を突き 詰めようとはしません。結局、最後はもの別れに状態に・・・でも介護保険制度に携わる行政や関係者のむせ金な一面を知らされるあきれたシーンでした。

結局、ケアマネ・介護 事業所・ヘルパーを解任しました。そして、新しいケアマネ・介護事業所を選任しましたので、この件は落ち着きました。お金をあげてはいけないと口うるさく 言うのですが、本人は財布から1000円、2000円と渡そうとするのです。「ダメですよ!こんなことをしては!私たちももらえないのですから、してはい けないのですよ!!」
認知症になっている人 からお金を巻き上げようとしているのではないでしょうが、結果的にそうなってくるのは、仕方のないことなのでしょうか? やがては取った、取っていないの話になってくるのです。認知症はそうなると本当に怖い病気です。身内の人も周囲の人も気配りが必要な病気です。本人は悪く なる一方です。なんとか治せるものなら治したい!!家族でない以上介護の限界を思い知らされました。

昔は現役バリバリのOLとして仕事をこなしていた女性が年をとることにより、認知症になっていくという結末・・・ 彼女は昔の歓迎会の写真を一枚バッグの中に大切そうに入れて、人にみせていました。「ほら、ここに写っているのが私よ」と言いながら、昔のことを懐かしそ うにしゃべってました。同じことを何回も言っています・・・。 高齢の一人暮らしの方が意外と多いのです。そして他人に家や部屋を貸しているケースも意外にあります。そして高齢で一人暮らしの方が認知症になると金銭ト ラブルは必至。

中には何十年も家賃の支払いがない状態でなかば、家を賃借人(他人)に占有されている状態でなすすべもなくお手上げ状態です。 そんなときには、ご本人・家族・知合いの方はご相談ください。

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