脳梗塞患者の妻として

脳梗塞患者の妻として 

1.立場   
    とある脳梗塞患者の妻として
2.テーマ   
    ぴあチアーズとの出会い・繋がり 
     ~その出会いを大切にしたい~
3.主に伝えたいこと   
    ① 脳卒中患者と共に生きる家族
       としての素直な想い・体験談   
    ② 皆さんにもぜひお勧めしたい
       「知って良かった福祉制度・サービス」
       「入っていて良かった民間の各種保険」
4.病歴
平成22年
11月10日  
          
夫、脳梗塞を発症 即日××病院へ緊急入院
              
夫は脳卒中の危険因子を持っていた。
危険因子:
高血圧、肥満(メタボ)、過労、ストレス、喫煙、毎日晩酌、不整脈、短時間睡眠
性格は、仕事熱心、せっかち、頑固、短気、周りの言うことを聞かない(医者処方の高血圧の薬を捨てていた)、自信家、競争心が強い   
11月25日   リハビリの為に、×××病院へ転院   
12月15日   夫は仕事が心配で自分で退院日を決め、早めに×××病院を退院し、在宅生活のスタート(夫職場復帰)
12月25日頃  今まで風邪も引いたことのない人だったのに、夫は大風邪をひき、食欲もなく、薬も飲めなくなる(嚥下障害)

年末に向けて、×××病院で点滴通いの日々を過ごす
平成23年
4月中旬     ×××病院にて、夫、身体障害者手帳の申請について主治医に尋ねる

5 ぴあチアーズとの出会い   

① 医療費とリハビリ継続の関係     
 
×××病院にて、夫、身体障害者手帳の申請について主治医に尋ねる。主治医は「手帳を持っても余りメリットは無いだろう」と言っていました。が、後から分かったことだが、広島市では、身体障害者手帳3級以上を取得すれば(一応所得制限があるが)、大体の人は、医療費がタダになる「重度障害者医療費受給者証」がもらえる。
     

私達夫婦はこのことを知り、6月に本気で身体障害者手帳を申請しようと、この制度に挑んだ。結果、8月にはめでたく身体障害者3級の認定をもらい、所得制限にも引っかからず、重度障害者医療費受給者証がもらえたため、それまで経済的に大きな負担であったリハビリ通院費や毎月の処方代など様々な医療費が公費負担となり、経済的な不安が一つ取り除かれた。「これで安心してリハビリに専念できるね」と夫に言ったものです。
     

脳卒中は、その名の通り、ある日突然起きて、何の準備も覚悟もできず、その発症直後から今までの生活が一変してしまう。 脳卒中の言葉の意味は、「卒然として邪風に中る」、つまり、突然悪い風にあたって倒れるという意味。      
その中で、治療やリハビリ生活が始まるが、それを続けていくためには、経済的な心配・不安があっては、続けようにも続かない人も多いだろう。    
  
この制度は、まだ知らない人にはぜひ知って活用して頂きたい。医者やリハビリスタッフは、「リハビリは大切。続けることが大事。」と言うが、続けていくには、まず経済的不安を取り除かなくては。   

② 介護保険制度・福祉用具の活用      
介護保険制度の中に、「福祉用具購入費の支給」というサービスがある。脳梗塞で左半身麻痺が残った夫は、トイレの失敗や困難が増えた。まず、人間は、どちらかの身体が麻痺すると、トイレの大小にも影響することが分かった。大事な部分の括約筋が緩むので、意思とは関係なく出てしまいやすく、トイレに間に合わないことも多々あり、また不衛生になりがちである。   
   

その悩みを一つ和らげてくれるのに、暖房便座付ウォシュレットトイレへの工事だ。     

我が家は、賃貸マンションなので、大家さんに許しを得て、トイレと風呂を改修した。トイレ、風呂には、本人が使いやすい場所に手すりを付けたのはもちろんのこと、トイレに元々設置してあった洋式便座では低く、立ち上がりが難しく、暖房やウォシュレットのないシンプルなものだったので、補高便座として付け替えてもらった。介護保険では、これらの工事費や購入費も本人の負担は1割で、大変有難い。色々と問題点はあったが、これで本人のトイレ環境は以前より改善された。      
ソファの立ち上がり用に、置き型の手すりもレンタルしていたが、リハビリ効果か?     

本人の移乗が以前よりも楽にできるようになったので、返却した。(後半は子どもの鉄棒状態になっていた。)
  

③ 本人の明るさに救われることも     
 
この例として、ある日リハビリで、「若い女の子に、女の子の方から触ってもらえる」と嬉しそうに話す夫。女性の患者さんなら、若いイケメンのリハビリスタッフだと元気とやる気がアップするかもしれませんね。 身体障害者手帳が3級から2級に上る時、障害の認定が上がるというのは本来、障害が重たいことを示すもので、喜ばしいことではありません。しかし、「”次は1級目指して頑張ります”と主治医に言ったんよ」という言葉を夫から聞いて、「漢字検定じゃあるまいし」と思わず笑ってしまったが、脳梗塞という病気になっても、主治医に対してジョークを言えるくらいの明るさと、頭の健康を残してくれたことに、内面では癒されることもありました。      

縁あって私は夫と巡り会い、健康で可愛い男の子にも恵まれ、今は独身時代に比べて女性として一人の人間として、幸せなときを過ごしていることを感謝しています。(性格上、子どもや夫の世話をするのは好きな方かもしれません。)      
結婚当初、「子どものオムツが要らなくなったと思ったら、今度は主人がオムツなんてことにならないでよ」と、夫によく悪い冗談を言っていました。今は、半分それに近い状態になってはいますが、夫の脳梗塞からの生還とでも言える、歩行器を使って移動していた入院時や発症時から比べ、今を思えばゆっくり少しずつですが、良くなっているようにも思うし、何よりも本人が自分の現状を受け入れてきたかなと思うことも。    
  

発症以前は、かなりヘビースモーカーで、私が子どもを妊娠中でも「身体に悪いから、タバコはやめてよ。」と何度言っても、「タバコで死ぬなら本望じゃ」と言っていたのに、病気をして主治医に「タバコをやめないと死にますよ」と言われ、ピタッとやめました。というか、脳梗塞を発症してから入院中は吸う気にもなれないのか、自然に禁煙状態となっていました。今思うと、入院中の2週目頃、禁断症状からなのか、「わしをゴミのように捨てるのか?」など、毎日子どもを負ぶって見舞いや世話に通う私に、投げてきたあの時のヒドイ言葉や青ざめていた表情は忘れられません。「こんなに、毎日一生懸命やっているのに、どうしてそんなひどいことを言うの?」と病室で声を荒げてしまったこともありました。   

④ 出会い    
  
夫が脳梗塞を発症してからは、退院し家に帰ってからも、夫は毎晩、身体が痛くて眠りが浅いこともあり、自宅で夜中に起きては脳梗塞に関する本やリハビリの本などを読んでいました。しかも、「この気持ちは本人しか分からん」などベッドに腰掛けて、固くなった足を見つめながらよくぼやいていたので、「きっと孤独感でいっぱいなのかなぁ。」、「同じような病気を持ちながらも生活している人と知り会えたら、少しはいいことがあるかも」と思っていた頃、中国新聞のある一面のほんの小さな記事が目に止まりました。
    

 
「脳卒中の会・・・広島で近日、会合が開かれる」しかも参加無料!      
すぐに記事を切り抜き、夫に見せました。「あなたこれ、行ってみたら?」と。    
 
その時、主人は、まだ少し迷っていたみたいでしたが、「あんたが車で連れてってくれるなら行く」と言うので、私は運転手、付添い人として参加することに。      
それが、ぴあチアーズに私達夫婦が初めて参加したきっかけです。      

初めて参加したときの印象は、広い会場に80名位の人々がいて、杖をつきながらゆっくり歩く人、車椅子の人、一見元気そうでも話をしてみるとしびれなどの後遺症で悩まされている人等々、たくさんの老若男女の脳卒中患者とその家族やスタッフがおられました。

その集団の中に初めて入り、雑談タイムの自己紹介のときにふと涙が溢れました。「なんだろう。この涙は?自分でも分からない、分からないけど、ああそうか!」      
「私も辛かったんだ」。夫が脳梗塞にある日突然なって、生活が激変していたのです。あれから、夫も必死にリハビリ生活を送ったんだろうけど、妻である私も私なりに必死で無我夢中に日々を過ごしてきた。夫を支えるべく。  
    

入院してすぐのことで、泣くに泣けぬ多忙な日々を過ごし、入院生活に慣れてきた矢先、「リハビリ病院へ転院が必要です」と言われ、次の選択をしなければいけない。
     
夫が自営している事務所を潰してはいけない。当時の職員に一日の仕事の日報を確認し、所長の夫へ伝える日々。事務所の戸締りをしてから子どもをママ友へ預け、夜も病院の見舞いに通う。息子は、いつもと違うことを分かってか、深夜に突然「父さ~ん、父さ~ん」と泣き出して、こちらも泣き出しそうでした。張りつめていたのか、泣けなかった。      

モニター音などが響く救命センターの異様な空気、環境に押し潰されそうになる。夫は、4日目にして、一般病棟へ移った。少し夫も落ち着いていた。おにぎりが食べられた。     

利き手だった左側が麻痺して自助具のスプーンを持って、食事もリハビリ。ナースさんに紙オムツを買ってくるよう言われ、用意。夫が”遂に紙オムツか・・・”とリアルな現実が否応なく目の前に突き出される。ポータブルへの練習、私も介助の仕方をナースさんに習う。      
夫が入院している間も、顧客からの電話や社員への給料の振込み等対応・処理しなければならないことが沢山あった。夫が入院前に決めていた、自宅ともう一つの経営部所の引越し作業もあった。実家の母にも子どもの世話を助けに来てもらった。      
いろんな人を巻き込みながら、周囲の支えや協力があって乗り越えられた。必死に乗り切った当時をようやく我ながら振り返ったのでした。      
「そうだ!私は育児と夫の世話とを日々こなすのに精一杯で、あの時の自分を振り返る一時も持ってなかったんだ。」ということにも気付きました。      
そして、ぴあチアーズで初めて出会って名前を名乗りあったご夫婦がまた素敵な方でした。そのご夫婦にこの会で出会う度、話を交わさなくても何か温かい気持ちになれる。今日もまた、この場所で元気に会えました。それだけで、何か嬉しい気持ちになれます。      

皆さん、ぴあチアーズに、寒い日も暑い日もはるばるやって来るのには、「どんな思いで来られているのだろう?」と、いつも帰りの道中、そんなことを思いながら、夫と語り合いながら、帰路に着く。    

  
「そこに行けば、仲間がいる。仲間から、実体験から得た様々なことを聞ける。そして、自分も語る。それだけでも十分癒される。」、これがピアカウンセリング(共に癒し合う)。そして、またそれぞれの家庭、職場、日常へと戻る。 「また、次の会にも行こう、行きたい、そこには何かがある。仲間と会える」それが私の、ぴあチアーズ。

最後になりましたが、これからも、この会のますますの繁栄と会員皆様のそれぞれの幸せと健康を願いつつ私からの発表は終わりと致します。 ご清聴、ありがとうございました。

6.後記      
最後に・・・     
今日、この場で皆様の前で若輩者の私がお話しをさせて頂くことになり当初は、私と夫の脳梗塞体験談から学んだことを、どうお話したらいいか纏まらぬまま日々が過ぎてゆきました。が、今日このような発表の場を設けて頂き、改めて記述化し、整理をすることができ、今日が私にとっても大切な節目となりました。

http://uttaeteyaru.jugem.jp/に掲載された内容の紹介です

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